いづれの芸の道でも基礎が出来ていないかぎり次の創意ある作品は作り出せません。
しかし、花技や花型といった規則は決して鋳型にはめるものではありません。何をもって自由とするのかということが大切なのです。
自由という言葉はかなり幅のある解釈ができますが、古流・大觀流では
生花(古典花)/盛り花・投入(現代花)とも美しい花姿を身につけ、それらを自由につかいこなすことができた先に本当の自由があると考えます。
型にとらわれるのではなく、型の美しさを借り、あるときはその型を越える。
それが古流・大觀流のいけばなです。